昭和時代に入ると、日本は不況と社会不安の中で、次第に軍部の発言力が強まっていった。1929年、アメリカを発端とする世界恐慌(せかいきょうこう)が起こり、日本も深刻な不景気に陥った。とくに農村では不作と不況が重なり、生活が成り立たなくなる人々が急増した。こうした不満は政治への批判となり、政党政治は「国を守れない」「不況を解決できない」として信頼を失っていった。その一方で、「軍が国を立て直すべきだ」という考えが広がり、軍部が政治に強く関わるようになった。1931年、関東軍(かんとうぐん)は中国東北部(満州〈まんしゅう〉)で満州事変(まんしゅうじへん)を起こし、日本は満州を占領した。翌年、日本は満州に満州国(まんしゅうこく)を建国したが、これは日本が実権を握る国であった。この行動を問題視した国際連盟は、日本を批判し、リットン調査団を派遣した。日本政府はこの勧告を受け入れず、1933年に国際連盟を脱退した。軍部の影響力はさらに強まり、1932年には海軍の青年将校らによる五・一五事件(ご・いちごじけん)が起こり、首相の犬養毅(いぬかいつよし)が暗殺された。これをきっかけに、政党内閣は終わり、軍人や官僚が中心となる政治へと移行していった。1936年には、陸軍の青年将校が中心となってクーデターを起こす二・二六事件(に・にろくじけん)が発生した。この事件は失敗に終わったが、軍の発言力はさらに強まり、政府は軍の意向を無視できなくなった。1937年、中国との間で日中戦争(にっちゅうせんそう)が始まった。戦争は短期間で終わると考えられていたが、長期化し、日本の国力を大きく消耗させた。戦争を続けるため、政府は国民生活を厳しく統制し、国家総動員法(こっかそうどういんほう)を制定して、人・物・金を戦争に優先的に回した。その後、日本はドイツ・イタリアと結んで日独伊三国同盟(にちどくいさんごくどうめい)を結成し、戦争体制をさらに強めた。1941年、日本は資源確保を目的として、アメリカ・イギリスと対立を深め、ついに真珠湾攻撃(しんじゅわんこうげき)を行い、太平洋戦争(たいへいようせんそう)が始まった。戦争が長引くにつれ、日本は次第に不利な状況に追い込まれた。1945年、アメリカ軍は東京大空襲を行い、多くの市民が犠牲となった。同年8月、広島・長崎に原子爆弾(げんしばくだん)が投下され、甚大な被害が出た。さらに、ソ連(ソビエト連邦)が対日参戦したこともあり、日本は戦争継続が不可能となった。1945年8月15日、昭和天皇(しょうわてんのう)はラジオ放送(玉音放送〈ぎょくおんほうそう〉)で国民に終戦を伝え、日本は連合国に降伏した。これにより、昭和前期の戦争の時代は終わりを迎えた。
.png)
※画像や動画はAIで作成しているため、文字化けしている可能性や、音声なども違う読み方をしている場合があります。ですので、すべての情報を鵜呑みにせず、必ずご自身で調べてから勉強してください。文章に関してはチェック済みです。
キーワード
<不況と軍部の台頭>
•世界恐慌(せかいきょうこう)
•昭和恐慌(しょうわきょうこう)
•政党政治の衰退
•軍部(ぐんぶ)の台頭
満州事変と国際関係
•満州事変(まんしゅうじへん)
•関東軍(かんとうぐん)
•満州国(まんしゅうこく)
•国際連盟脱退(こくさいれんめいだったい)
•リットン調査団
<クーデターと政治>
•五・一五事件(ご・いちごじけん)
•犬養毅(いぬかいつよし)
•二・二六事件(に・にろくじけん)
<戦争拡大>
•日中戦争(にっちゅうせんそう)
•国家総動員法(こっかそうどういんほう)
•日独伊三国同盟(にちどくいさんごくどうめい)
<太平洋戦争>
•真珠湾攻撃(しんじゅわんこうげき)
•太平洋戦争(たいへいようせんそう)
•東京大空襲(とうきょうだいくうしゅう)
•原子爆弾(広島・長崎)
•ソ連対日参戦
<終戦>
•昭和天皇(しょうわてんのう)
•玉音放送(ぎょくおんほうそう)
•終戦(1945年8月15日)

_解説スライド_ページ_01.jpg)
_解説スライド_ページ_02.jpg)
_解説スライド_ページ_03.jpg)
_解説スライド_ページ_04.jpg)
_解説スライド_ページ_05.jpg)
_解説スライド_ページ_06.jpg)
_解説スライド_ページ_07.jpg)
_解説スライド_ページ_08.jpg)
_解説スライド_ページ_09.jpg)
_解説スライド_ページ_10.jpg)
_解説スライド_ページ_11.jpg)
_解説スライド_ページ_12.jpg)
_解説スライド_ページ_13.jpg)
_解説スライド_ページ_14.jpg)
_解説スライド_ページ_15.jpg)







この記事へのコメントはありません。