大正時代:20世紀前半  「世界大戦とデモクラシー」

1914年、オーストリアの皇太子がセルビアの青年に暗殺されるサラエボ事件をきっかけに、第一次世界大戦が始まった。ヨーロッパでは、イギリス・フランス・ロシアの三国協商と、ドイツ・オーストリア・イタリアの三国同盟が激しく戦った。日本は、イギリスと結んでいた日英同盟を理由に三国協商側として参戦した。しかし、日本はヨーロッパまで兵を送ることはせず、ドイツの植民地があった中華民国(ちゅうかみんこく)に目を向けた。日本は中華民国に対し、自国に有利な内容を押しつける二十一箇条(にじゅういっかじょう)の要求を出し、ドイツが支配していた山東(シャントン)半島の権益を手に入れた。戦争中、ヨーロッパ諸国が戦争に集中したため、日本はアジア向けの輸出を大きく伸ばした。その結果、短期間で大金を得た成金(なりきん)が登場するなど、一時的な好景気となった。戦争は三国協商側が有利に進んだが、その途中、ロシアで大きな変化が起こった。社会主義を目指すレーニンが率いるロシア革命が起こり、ロシアは戦争から離脱し、のちにソビエト連邦(ソ連)が誕生した。社会主義の広がりを警戒した日本は、革命をおさえる目的で軍隊を送るシベリア出兵を行った。このころ、日本国内では物価が急激に上昇し、さらにシベリア出兵を見越した米の買い占めが行われたため、1918年に米騒動(こめそうどう)が全国に広がった。この責任をとって寺内正毅(てらうちまさたけ)内閣は総辞職し、代わって原敬(はらたかし)が首相となった。原敬の内閣は、政党が中心となって政治を行う本格的な政党内閣であった。1919年、第一次世界大戦は終結し、ベルサイユ条約が結ばれた。その後、世界の平和を守るために国際連盟が発足したが、武力による制裁ができないなどの欠点があり、十分な力を発揮できなかった。日本からは新渡戸稲造(にとべいなぞう)が国際連盟事務局次長として活躍した。戦争が終わると、日本の輸出は減少し、不景気に陥った。さらに1923年9月1日には関東大震災が発生し、東京や横浜に大きな被害を与えた。この混乱の中で、「朝鮮人が暴動を起こした」という根拠のないデマが広がるなど、社会不安も高まった。こうした不安定な時代の中で、国民の間では政治に参加したいという意識が高まり、民主主義を求める動きが活発になった。この風潮は大正デモクラシーと呼ばれる。思想家の吉野作造(よしのさくぞう)は、天皇主権を前提としながらも、政治は国民の意思を重視すべきだとする民本主義(みんぽんしゅぎ)を唱えた。こうした国民の動きを受け、1925年、加藤高明(かとうたかあき)内閣は、これまで制限されていた選挙を改め、満25歳以上のすべての男子に選挙権を与える普通選挙法を制定した。しかし同時に、社会主義や共産主義の広がりをおさえるため、治安維持法も制定され、言論や思想の自由は制限されることになった。

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キーワード

<世界大戦>
•サラエボ事件
•第一次世界大戦
•三国協商:ロシア・フランス・イギリス
•三国同盟:ドイツ・オーストリア・イタリア
•日英同盟

<日本の動き>
•二十一箇条の要求
•山東(シャントン)半島
•成金(なりきん)

<ロシア革命と国内混乱>
•ロシア革命:レーニン
•ソビエト連邦(ソ連)
•シベリア出兵
•米騒動(富山県〈とやまけん〉魚津〈うおづ〉)
•寺内正毅
•原敬:本格的政党内閣

<国際社会>
•ベルサイユ条約
•国際連盟(スイス・ジュネーブ)
•新渡戸稲造

<国内の動き>
•関東大震災(1923年9月1日)

<大正デモクラシー>
•大正デモクラシー
•護憲運動
•民本主義(吉野作造)

<社会運動>
•全国水平社(京都・部落差別撤廃)
•婦人参政権運動
•平塚雷鳥(ひらつからいちょう)
•市川房枝(いちかわふさえ)

<法律・政治>
•普通選挙法(1925年)
•治安維持法(1925年)
•加藤高明内閣

<文化・生活>
•ラジオ放送開始(1925年)

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