室町時代:14世紀前半~16世紀後半  「戦国の世の中へ」

後醍醐天皇(ごだいごてんのう)は建武(けんむ)の新政を始めたが、公家(くげ)を重んじる政治を行ったため、武士の不満を招き、足利尊氏(あしかがたかうじ)によって京都から追放された。後醍醐天皇は奈良県の吉野(よしの)に逃れて政治を行ったため、京都の朝廷(北朝)と吉野の朝廷(南朝)が並び立つ南北朝時代(なんぼくちょうじだい)に入った。3代将軍足利義満(あしかがよしみつ)のころ、南北朝は合一(ごういつ)され、室町時代は最盛期を迎えた。金閣(きんかく)、花の御所(はなのごしょ)、勘合貿易(かんごうぼうえき)はいずれも義満の時代のものである。また、義満が南北朝を合一した1392年、朝鮮半島では李成桂(りせいけい)が李氏朝鮮(りしちょうせん)を建国した。8代将軍足利義政(あしかがよしまさ)(妻は日野富子〈ひのとみこ〉)の時代、1467年に応仁の乱(おうにんのらん)が起こり、将軍の権威は大きく低下した。この戦乱は11年にも及び、京都は焼け野原となった。これをきっかけに、文化人が地方へ移住し、文化も地方へ広がっていった。将軍の力が弱まると、各地の武士が下剋上(げこくじょう)によって実力で支配権を握り、**戦国大名(せんごくだいみょう)として独自の政治を行うようになった。戦国大名は、自分の領国を治めるために分国法(ぶんこくほう)を定めた。一方、農村では惣(そう)とよばれる自治組織がつくられ、寄合(よりあい)という会議を開いて、村の決まりである掟(おきて)を定めた。このころ、正長(しょうちょう)の土一揆、山城(やましろ)の国一揆、加賀(かが)の一向一揆などの一揆が各地で起こった。さらに、鉄砲(てっぽう)やキリスト教が日本に伝えられ、戦い方は短時間で決着がつくものへと変化し、人々の考え方も「人は神の前では平等である」という思想の影響を受けるようになった。

キーワード

①後醍醐天皇(ごだいごてんのう):建武の新政・南朝(なんちょう)
②守護大名(しゅごだいみょう)→ 戦国大名
③1代将軍 足利尊氏(あしかがたかうじ):後醍醐天皇を追放
④3代将軍 足利義満(あしかがよしみつ) → 日明貿易(にちみんぼうえき)・勘合貿易
→ 永楽通宝(えいらくつうほう)・勘合(かんごう)・倭寇(わこう)
→ 花の御所・金閣(北山文化〈きたやまぶんか〉)
⑤8代将軍 足利義政(あしかがよしまさ):妻・日野富子
→ 応仁の乱(祇園祭〈ぎおんまつり〉中止)
→ 西陣織(にしじんおり)・銀閣
→ 東山文化(ひがしやまぶんか)
⑥正長の土一揆(滋賀県・近江〈おうみ〉の馬借〈ばしゃく〉)
⑦山城の国一揆(京都・8年間の自治)
⑧加賀の一向一揆(石川県・約100年間の自治) → 蓮如(れんにょ)
⑨北山文化(義満のころ) → 鹿苑寺(ろくおんじ)金閣 / 書院造(しょいんづくり)
能楽(のうがく):観阿弥(かんあみ)・世阿弥(ぜあみ)/ 狂言(きょうげん)
⑩東山文化(義政以降) → 慈照寺(じしょうじ)銀閣 / 雪舟(せっしゅう):水墨画(すいぼくが)
⑪地方:戦国大名・分国法・下剋上
⑫農村:惣・寄合・(村)掟

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