鎌倉時代:13世紀(1192)~14世紀前半(1333)  「武士の台頭」

源頼朝(みなもとのよりとも)は1192年に征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)に任命され、鎌倉幕府を開いた。妻は北条政子(ほうじょうまさこ)である。しかし、その後、執権(しっけん)の地位を手に入れた北条氏に政治の実権を奪われ、源氏の将軍は2代頼家(よりいえ)、3代実朝(さねとも)の三代で滅んだ。執権政治に不満をもった後鳥羽上皇(ごとばじょうこう)は、2代執権北条義時(ほうじょうよしとき)の時代に、幕府に反抗して承久の乱(じょうきゅうのらん)を起こした。しかし、北条政子の演説によって結束した御家人(ごけにん)たちに敗れ、後鳥羽上皇は隠岐(おき)へ流された。幕府は、朝廷のある西国を監視するため六波羅探題(ろくはらたんだい)を設置し、御家人を統制するため、3代執権北条泰時(ほうじょうやすとき)が御成敗式目(ごせいばいしきもく)を制定した。8代執権北条時宗(ほうじょうときむね)のころ、フビライに率いられた元(げん)と高麗(こうらい)の連合軍が九州の博多湾(はかたわん)に攻めてくる元寇(げんこう)(文永〈ぶんえい〉の役・弘安〈こうあん〉の役)が起こった。一騎打ちを基本としていた御家人は、集団戦法をとる元軍に苦戦したが、二度とも元軍を退けることに成功した。しかし、戦いで得た土地がなかったため、御家人に十分な恩賞(御恩〈ごおん〉)を与えることができず、不満が高まった。幕府は御家人を救済するため徳政令(とくせいれい)を出したが、かえって社会は混乱し、最終的に後醍醐天皇(ごだいごてんのう)を中心とした勢力によって鎌倉幕府は滅ぼされた。元寇の際、恩賞を受けるために戦いの様子を絵に描かせた竹崎季長(たけざきすえなが)は有名である。

【キーワード】(読み仮名付き・暗記用)
①守護(しゅご):国ごとに置かれた武士
②地頭(じとう):荘園や公領ごとに置かれた武士
③御恩(ごおん)と奉公(ほうこう):将軍と御家人の主従関係
④源氏の将軍:頼朝・頼家・実朝(3代)
⑤2代執権 北条義時(ほうじょうよしとき) → 承久の乱/後鳥羽上皇(隠岐へ)/六波羅探題
⑥3代執権 北条泰時(ほうじょうやすとき) → 御成敗式目
⑨8代執権 北条時宗(ほうじょうときむね) → 文永・弘安の役/フビライ
→ 石塁(せきるい・防塁〈ぼうるい〉)
→ 竹崎季長(絵を描かせて恩賞を求めた)
⑩鎌倉文化(力強い)
→ 東大寺南大門金剛力士像(とうだいじ・こんごうりきしぞう) /運慶(うんけい)・快慶(かいけい)
→ 平家物語(琵琶法師〈びわほうし〉)
→ 武家造(ぶけづくり):やぶさめ・かさがけ・犬追物(いぬおうもの)
⑪鎌倉仏教
→ 法然(ほうねん):浄土宗(じょうどしゅう)・念仏
→ 親鸞(しんらん):浄土真宗・悪人正機説(あくにんしょうきせつ)
→ 一遍(いっぺん):時宗(じしゅう)・踊念仏(おどりねんぶつ)
→ 日蓮(にちれん):日蓮宗(法華宗〈ほっけしゅう〉)・題目(だいもく)
→ 栄西(えいさい):臨済宗(りんざいしゅう)・茶
→ 道元(どうげん):曹洞宗(そうとうしゅう)
※ 臨済宗・曹洞宗をまとめて「禅宗(ぜんしゅう)」

キーワード

①桓武天皇(かんむてんのう):平安京
②空海(くうかい):真言宗/高野山金剛峰寺(こうやさんこんごうぶじ・和歌山県)
③最澄(さいちょう):天台宗/比叡山延暦寺(ひえいざんえんりゃくじ・滋賀県)
④菅原道真(すがわらのみちざね):遣唐使廃止/大宰府
⑤摂関政治(せっかんせいじ):娘を天皇の外戚にする政治
⑥藤原道長(ふじわらのみちなが) 「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の かけたることも なしと思へば」
⑦藤原頼通(ふじわらのよりみち):平等院鳳凰堂(びょうどういんほうおうどう)
⑧後三条天皇(ごさんじょうてんのう):摂関政治の終わり
⑨国風文化(こくふうぶんか):
・紫式部(むらさきしきぶ)『源氏物語』
・清少納言(せいしょうなごん)『枕草子』
・紀貫之(きのつらゆき)『土佐日記』『古今和歌集』
・寝殿造(しんでんづくり)
⑩白河上皇(しらかわじょうこう):院政
⑪平清盛(たいらのきよもり):日宋貿易/大輪田泊/厳島神社(いつくしまじんじゃ)
⑫壇ノ浦の戦い(だんのうらのたたかい):平家滅亡
⑬平将門の乱(たいらのまさかどのらん)/藤原純友の乱(ふじわらのすみとものらん)

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