本記事要約
沖縄県では教員のメンタルヘルス不調による休職率が全国でも高く、文部科学省の調査でも増加傾向が確認されている。背景には授業に加えて保護者対応や事務処理、安全管理、福祉・法務的対応など、公教育が多機能化しすぎたことによる制度的疲労がある。那覇市は文科省のモデル事業を実施したが、対応を「保健師の確保」に集約しようとする方針が示され、心理以外の領域、特に制度・法務支援が不足している点が課題として浮かび上がった。新垣淑豊県議は教育委員会に法務専門職(インハウスロイヤー)を配置する必要性を指摘しており、教員の健康を守るためには医療・心理・法務を統合した支援体制と機能分化が求められる。制度の持続可能性は最終的に生徒の教育環境と進路に影響するため、公教育全体の再設計が急務である。

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教育現場の「持続可能性」を問う時代へ
近年、教育に関する議論は「学力」「進学」「部活動」といった従来のテーマを超え、ようやく制度の土台を構成する根幹に目が向けられ始めている。それが教職員のメンタルヘルスの問題であり、その背後にある教育制度の持続可能性である。
教育は人材産業である。教師は機械ではなく、人間である以上、教職員の心身の健康は教育制度の耐久性に直結する。授業の成立、進路指導、生活指導、安全管理、保護者対応、学校運営など、学校のあらゆる機能は「人」が行っている。ここが欠ければ制度は崩れる。これは医療、保育、国家防衛など「人に依存する領域」全てに共通する構造だが、特に教育はその影響が子どもの人生に直結するという点で重い。
沖縄県では、この問題が全国的にも際立った形で表面化している。精神疾患による休職者数が高止まりし続け、全国でも指折りの休職率となっているという報告が複数出ている。この事実は、教職員の健康問題を単なる個人の問題ではなく、制度の問題として扱わなければならない段階に来たことを示す。
参考記事にみる最新状況:那覇市の調査事業の文脈
今回の論考の起点となった参考記事は、沖縄県議会議員・新垣淑豊氏が発信した以下の内容である。
参考記事:新垣淑豊(あらかき よしとよ)県議の公式サイト
沖縄県・那覇市、教育委員会のメンタルヘルス対策への提言
記事を要約すると次の通りである。
・沖縄県では精神疾患による教職員の休職者が年々増加している
・文部科学省の調査では在職者比率1.69%と全国平均を上回る
・背景には長時間労働、事務作業、保護者対応等の複合負担
・文科省はモデル事業で産業医+保健師+心理職の連携を示した
・那覇市は3年間の調査事業を行いデータ蓄積を評価
・しかし対策を「保健師確保」一本に寄せようとしている
・新垣県議は「法務支援を含む多職種支援体制」を求めた
・特に教育委員会へのインハウスロイヤー配置の必要性を指摘
要点は極めて明確である。
メンタルヘルス対策は「医療/心理」の問題に矮小化されるべきではなく、制度・法務・組織構造に踏み込むべき領域であるという点だ。
教職員のメンタル不調は「構造問題」である
文部科学省は令和6年度「公立学校教職員のメンタルヘルス対策調査研究事業報告書」を公表しており、そこには次の重要な事実が示されている。
・精神疾患による休職者は増加傾向
・若手や在職2年未満に多い
・保健師単独ではなく多職種で支援
・自治体間の取り組み差が存在
分野横断的な支援体制を求める声は、すでに国レベルで制度化され始めているということだ。
沖縄県内では、琉球新報・沖縄タイムスなど複数紙が「休職率が全国ワースト水準」と報じており、数字としても無視できない規模に達している。
なぜ今、教育現場はこれほど疲弊するのか
この問いには複数の背景がある。
第一に、社会の期待が変容した。
かつて教育に求められた役割は「授業」「生活指導」「進路指導」が中心だった。しかし現在はこれに加え、学校は無数の機能を担っている。
例示すれば、
・心理支援
・コミュニケーション支援
・医療連携
・福祉連携
・安全管理
・危機対応
・部活動運営
・保護者クレーム対応
・行政文書作成
・個人情報管理
・ハラスメント対応
・SNS対応
・地域調整
・国際対応(外国籍児童)
・福祉的ケア
・不登校支援
・虐待通告
・スクールロイヤー連携
・警察連携
など枚挙にいとまがない。
第二に、情報環境が変わった。
保護者も生徒も、進学情報や教育制度情報をインターネット経由で取得するようになった。2000年代以前は、学校の先生の方が情報量で優位に立っていた。しかし現在、進路情報や制度比較、学校ランキング、模試結果分析などはネット上で手に入る。保護者の中には学校より情報を持つ者も少なくない。
第三に、公教育の制度目的と保護者の期待がズレ始めた。
公立中学校は制度上「高校進学のための機関」ではない。しかし保護者は高校進学の結果を求める。この矛盾は制度的なストレスを生む。
第四に、進学塾との役割分担が未整理である。
進学塾は授業と進路を「商品」として提供し、専門的に情報収集する。しかし公教育はそれ以外の業務が圧倒的に多い。
これら全体を踏まえると、教職員のメンタル不調を「根性」や「心の問題」として扱うこと自体が適切ではないとわかる。それは制度疲労であり、制度設計の課題であり、役割過負荷の問題である。
那覇市のメンタルヘルス対策と「保健師一本化」が抱える課題
参考記事でもふれられているように、那覇市教育委員会は文部科学省のモデル事業を3年間実施し、一定のデータとノウハウを蓄積したとされる。しかし事業終了後の対策として、市側が「保健師の確保」を軸に据えようとする方針を示したと記事は指摘している。
保健師という職種は重要であり、学校にとっても不可欠である。健康管理、身体的疾患の相談、生活面の衛生指導、医療機関連携など、多くの場面でその専門性は生きる。だが問題は「メンタルヘルス対策を保健師だけで担保できるか」という点である。
文部科学省の報告書はむしろ逆を示している。
同報告書には、メンタル不調に対して
・産業医
・保健師
・心理職(臨床心理士・公認心理師 等)
が連携する事例が紹介され、複合支援が前提となっている。
つまり国の調査事業は「多職種連携」を推奨しており、単一職種では対応できないという前提に立っているのだ。
ではなぜ政策が単一化するのか。
それは行政との合意コストが低く、制度変更に抵抗が少ないためである。だが制度としての整合性という観点では、むしろ逆方向の政策評価となる可能性がある。
現場のメンタル不調は「心理」だけではなく「制度摩擦」で起きる
教職員の精神的不調は「心の弱さ」の話ではない。
主な要因は制度に起因する。
たとえば、
・服務規程
・保護者対応
・トラブル処理
・書類責任
・事故対応
・労務問題
・安全配慮義務
・個人情報
・指導上のクレーム
・懲戒権の行使
・人権配慮
・校内報告ライン
・指導と暴力の境界線問題
などは全て制度領域に属する。
これらに対応するためには、心理支援だけでは足りない。
法務支援・管理支援・制度設計が必要なのである。
つまり、現場のストレスの性質がすでに「法律・制度・組織」の領域に移行しているにも関わらず、支援体制が「心のケア」にとどまっている場合、ミスマッチが生じるのは自然である。
制度変更の具体例:鏡原中学校のケース
制度の変化は、那覇市内の中学校でも実際に進んでいる。鏡原中学校では2025年度より、担任を固定しない「学年チーム担任制」が導入された。これは教員の負担を分散することを目的とした制度であり、定期テストの運用方法についても見直しが行われていると報じられている。
この制度は、沖縄県内では注目される取り組みとして位置づけられるが、「全国的に唯一の制度」と断定する根拠はない。全国には類似のチーム担任制や定期考査縮小の事例が存在し、制度改革はむしろ全国的に分散的に進んでいると考えるべきである。
筆者個人の意見としては、学校と生徒・保護者の信頼関係は、授業の質と進路指導の力に大きく依存している点を踏まえれば、制度改革はこれらの機能を損なわずに実装される必要があると考える。制度変更は短期的に賛否を呼びやすい領域だが、それ以上に重要なのは、制度と制度利用者の間に生じる摩擦をどのように吸収するかという点である。
進学塾と公教育の分業が未整理である
ここで対比として進学塾を見てみると、役割の境界線が明瞭である。
進学塾は、
・教務(授業)
・学習管理
・進路指導
・試験対策
を「商品」として扱うため、情報収集と専門性の維持に特化する。
公教育のように、保護者対応や福祉的支援、生活指導、地域調整、行政手続、危機管理といった領域は担わない。
この役割分担の整理が行われていないことが、公教育側に制度的なストレスを蓄積させている。
公教育は多機能すぎるのである。
これが人材の消耗に直結している構造は、経済界や行政では常識の範囲に属する。「多機能化→複雑化→専門性の劣化→持続可能性の低下」は、多くの産業で確認されてきた現象である。
教職員を支えるための法務支援という視点
ここで重要となるのが、参考記事で紹介された教育委員会内のインハウスロイヤー配置という提案である。
インハウスロイヤーは、一般企業では珍しい存在ではない。
コンプライアンス、契約、危機対応、労務、個人情報、人事制度などを法的合理性のもとに整備する役職である。
教育が抱える法務リスクは年々増加している。
例示すれば、
・保護者からの不当要求
・懲戒権行使の境界問題
・指導と体罰の線引き
・個人情報管理
・校内事故の責任分担
・SNS炎上
・ハラスメント
・福祉通告
・安全配慮義務
・労務管理
これらはもはや心理職の領域ではない。
法務・労務・制度の領域である。
この視点を県議会で示した新垣淑豊県議の提案は、教育現場を「心理の世界」で説明しようとする従来の枠組みを超え、制度と現場を統合的に捉えようとする点において非常に優れている。
教育委員会に法務専門職を置くという提案は、単に「弁護士を雇え」という話ではなく、教育制度の維持コストを制度内部で処理できるようにするという制度設計の話なのである。
公教育を支える「分業」という考え方
ここまで述べてきた通り、公教育における教職員の負荷は多層化し、心理領域を超えて制度領域に広がっている。にもかかわらず、公教育は依然として「一人の教師が多数の機能を同時に担う」仕組みの上で成立している。
この構造は、産業分類で見ると高度成長期的であり、制度としての持続性に疑問が生じつつある。現代の社会システムでは、複雑化する領域に対しては必ず「分業」が導入される。医療では医師の業務は看護師や薬剤師、臨床工学技士、ソーシャルワーカーなどに分解され、企業では総務・労務・経理・法務・広報・IR・情シスなどに分化した。
ところが公教育は、こうした機能分化がほとんど進んでいない。
それは、教育が制度として特殊であるというよりも、むしろ制度改修が遅れていると解釈した方が自然である。
保護者と中学生にとっての関係性
では、この問題は保護者と中学生にどのように関係するのか。
結論は明瞭である。学校の制度疲労は必ず生徒に影響する。
例示すれば、
・進路指導力の低下
・授業の質の低下
・生活指導の整合性低下
・制度改革の遅延
・安全管理の脆弱化
・学校の管理機能の混乱
・学級崩壊リスクの増大
・教員採用の困難化
・教員経験値の低下
そして最終的には、
・高校入試の競争力
に影響する。沖縄県は人口減少が始まり、私立高校の増加によって入試構造はすでに変動を始めている。制度疲労が進めば、その負担は最終的に生徒の選択肢に跳ね返る。
進学塾を運営している立場から見ても、学校の制度が健全であることは生徒にとって利益であり、公教育と民間教育は対立ではなく補完関係として成立するのが望ましいと考えている。
政策として求められる方向性
この問題に対して、求められる政策的方向性は次の三点に整理できる。
第一に、機能分化の導入。
教員は教員の本務に集中し、心理支援、法務、広報、安全管理、福祉連携は専門職へ移管するべきである。
第二に、制度摩擦の可視化と整理。
制度をまたぐ領域(例:保護者クレーム、法務、労務、コンプライアンス)は専門家に委ねることで摩擦を減らせる。
第三に、法務支援の導入。
教育委員会へのインハウスロイヤー配置は、制度上最も遅れていた領域であり、新垣淑豊県議の提案はその遅れを是正する方向性を示している。
この第三点は、公教育が心理支援だけに偏り続けることへの反省でもある。制度疲労は制度で救うものであり、心理職だけでは手に余る領域が増えているからだ。
「法務」と「心理」を一体で扱うという発想
ここで重要なのは、法務支援と心理支援は対立概念ではなく補完概念だという点である。
心理支援が心の疲弊を扱うとすれば、法務支援は制度の摩擦を扱う。
疲弊は制度からも来るし、制度は心理に影響を与える。
したがって現場で起きているのは「制度×心理」の複合領域の問題であり、どちらかだけでは解決しない。
この領域を制度として整理しようとしたのは、全国的に見ても数少ない。
その点で新垣淑豊県議の視点は、極めて理性的かつ制度的であり、また現場に対して責任を持つ議論であると言える。
教育は「人」でできている以上、制度は人を守らなければならない
教育制度を議論するうえで忘れてはならないのは、教育は人間の仕事であるという点だ。
AIが教育を補助し、デジタル教材が普及し、データ分析が進んだ未来であってさえ、教育の基幹は人間に残るだろう。
だからこそ、人間を消耗させる制度は制度として不良品である。
教員を守ることは、生徒を守ることであり、地域社会を守ることである。
教育の制度疲労を教師個人の努力で補わせてはならない。
結びに代えて
沖縄は課題の縮図である。人口減少、教育体制、所得水準、進路選択、情報格差、生活環境――これらは全国で時間差を伴って訪れる兆候である。
だからこそ、沖縄の教育制度の議論は全国にとって価値がある。
教育は誰のものか。
教育は未来のものであり、生徒のものであり、地域のものである。
その未来を支える制度が持続可能であることこそが、最も重要なことである。
執筆者情報
比嘉 大(ひが たけし)
沖縄県を拠点に、中学受験・高校受験に関する情報発信を行う教育インフルエンサー。講師歴20年以上。学習塾の運営のほか、調剤薬局、ウェブ制作会社、ウェブ新聞「泡盛新聞」の経営など、25歳で起業して以来、自社7社・間接経営補助10社を展開。「教育が沖縄を活性化させる」という志を持ち、地域学力や家庭教育の課題について積極的に発言している。








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