校則を「与えられる決まり」から「社会を学ぶ教材」へ~沖縄の中学校から考える、民主主義と進路選択~

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「この校則、何のためにあるのだろう。」
そう感じたことのある中学生は、決して少なくないはずだ。
暑い日でも制服を着なければならない。髪型には細かな決まりがある。
理由を十分に知らされないまま、「決まりだから」と受け入れてきた――そんな経験を、多くの家庭が共有しているのではないだろうか。

だが今、沖縄のある中学校で、校則を「守るもの」から「考えるもの」へと捉え直す取り組みが進んでいる。
そこには、これからの時代を生きる子どもたちにとって、決して小さくない学びの芽が見える。

参考記事

西原町にある琉球大学教育学部附属中学校で、生徒の意見を反映させて校則を見直す「校則改正プロジェクト」が行われた。
この取り組みは、生徒に校則への関心を持たせることを目的に、2021年から継続して実施されている。

今年度は、体育着での登校、髪型、昼休みの過ごし方など4つの議題が設定され、生徒たちが話し合いを行った。
「楽になるから期間を延ばしたい」という意見に対し、「楽しちゃいけないのか」「なぜダメなのか知りたい」と疑問を投げかける声も上がった。

参加した3年生の生徒は、「もう卒業するから関係ないと思っていたが、違う意見の人がたくさんいて、新しい考えに出会えた。参加して良かった」と語った。
出された意見は校長に提出され、今後、学校全体で校則の見直しが検討される予定である。

なお、近年、全国的にも「校則の見直し」を求める動きが強まっており、本取り組みはそうした流れの中に位置づけられる実践と言える(※校則見直しの方針については文部科学省の通知等で示されている)。

校則を考えることは、民主主義を学ぶことである

校則を生徒自身が話し合い、見直す。
この一見ささやかな取り組みは、民主主義(※みんなで話し合い、決める仕組み)を実地で学ぶ貴重な機会である。

教科書の中で民主主義を理解することはできる。
だが、自分の意見を言葉にし、他者の意見を聞き、時にぶつかり合いながら結論を探る経験は、机上の学習だけでは得がたい。

ここで育まれるのは、
・自分の考えを伝える力
・異なる意見を整理して受け止める力
・合意形成(※みんなが納得できる形を探すこと)を目指す力
である。

これらは、将来、社会に出てからも必要とされ続ける力だ。
校則という身近なテーマを通して、その基礎に触れることができる意義は大きい。

多数派と少数派、その間で揺れる経験

話し合いの中で生徒が語った「自分と違う意見の人がいっぱいいた」という言葉は、この取り組みの核心を突いている。

民主主義では、多くの場合、多数派の意見が採用される。
そのとき必ず生まれるのが、少数派(※意見が少ない側)である。

自分の考えが通らなかったときに感じる戸惑い、悔しさ、納得できなさ。
それでも、決まったことを受け止め、次に進もうとする葛藤(※心の中の迷い)
こうした感情を経験すること自体が、社会で生きるための重要な学びである。

個人的な意見としては、点数や成績以上に、こうした経験こそが中学校段階で身につけてほしい力の一つではないかと感じる。

校則の話は、進路選択の話につながる

ここで少し視点を広げたい。
校則を「どんなルールにするか」を考ぶことは、「どんな環境で学ぶか」を選ぶこととも通じている。

勉強を頑張りたい生徒が多い学校。
部活動に力を入れる生徒が集まる学校。
それぞれの学校には、自然と雰囲気が生まれる。

学習面であれば、偏差値(※学力の目安となる数値)がその一つの指標となる。
また、学習環境や家庭学習時間が学力と関連することは、文部科学省などの調査でも知られている。
運動面であれば、大会実績が環境を知る手がかりになる。

運動の世界では、環境の違いを意識して学校を選ぶことが広く共有されている。
一方で、勉強となると、その感度がやや鈍くなるのはなぜだろうか。
個人的な意見としては、ここに、日本の進路選択の難しさの一端があるように思えてならない。

公立中学校という「多様性の交差点」

公立中学校には、さまざまな価値観の生徒が集まる。
勉強を最優先したい生徒もいれば、運動や友人関係を大切にしたい生徒もいる。
その「中央値(※真ん中の感覚)」は、学校や学年によって異なる。

思春期(※心と体が大きく成長する時期)という心が揺れ動く時期に、こうした多様性が交差すれば、摩擦(※ぶつかり合い)が生じやすいのは自然なことだ。
思春期における生徒指導の難しさは、文部科学省の資料などでも指摘されている。

個人的な意見としては、公立中学校で起こるさまざまな課題は、学校の努力不足というよりも、多様な価値観を一つの場で受け止めなければならない社会構造そのものが背景にあるのではないかと考える。

生徒会を超える一歩として

多くの学校に生徒会という疑似システム(※社会の仕組みを体験する場)がある。
しかし、行事運営にとどまり、校則のような根幹にはなかなか踏み込めていないのが現状ではないだろうか。

だからこそ、今回のように、生徒の意見を正式に校長へ提出し、学校全体で検討するプロセスが用意されている点は注目に値する。
附属中学校という特性はあるにせよ、沖縄の公立中学校にとっても、一つの示唆となる取り組みである。

問われるのは、進め方の公正さ

一方で、冷静に見ておきたい点もある。
話し合いを導くファシリテーター(※進行役)が主に教員である以上、その関わり方によって議論の方向性が左右される可能性は否定できない。

恣意性(※特定の考えに導いてしまうこと)が強まれば、民主的な場が形式だけのものになってしまう危うさもある。
また、教員の異動によって制度の雰囲気が変わる属人化(※人に依存すること)のリスクも考えられる。

記録を残し、仕組みとして共有し、複数で支える。
そうした工夫が、この取り組みを一過性のものにしないために求められるだろう。

沖縄の未来を支える静かな学び

校則を考ぶ。
それは一見、日常の小さな出来事に過ぎない。
しかしその中には、社会をつくる力の芽が確かに息づいている。

話し合い、選び、受け止め、次へ進む。
その積み重ねが、やがて沖縄の未来を支える市民を育てていく。

個人的な意見としては、この取り組みが特別なものとして終わるのではなく、沖縄の多くの学校に静かに広がっていくことを願ってやまない。
校則を考ぶことは、自分たちの社会を考ぶことの第一歩なのだから。

執筆者情報

比嘉 大(ひが たけし)
沖縄県を拠点に、中学受験・高校受験に関する情報発信を行う教育インフルエンサー。講師歴20年以上。学習塾の運営のほか、調剤薬局、ウェブ制作会社、ウェブ新聞「泡盛新聞」の経営など、25歳で起業して以来、自社7社・間接経営補助10社を展開。「教育が沖縄を活性化させる」という志を持ち、地域学力や家庭教育の課題について積極的に発言している。

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