「この偏差値なら奨学金が確約できます」──もし説明会でそう言われたら、保護者としては安心するかもしれません。
けれど同時に、少し違和感を覚える人もいるでしょう。「それって本当に公平なの?」と。
2025年10月、埼玉県が県内の私立高校に出した通知が話題になりました。
内容は「特待生(奨学金)の判定に、業者テストの偏差値を使わないように」というものです。
一見すると関東圏の話のように思えますが、実はこの問題、沖縄県や那覇市に暮らす私たちにも無関係ではありません。
“公平・公正”という言葉の本質を考える上で、今の教育現場が抱える課題と深くつながっているからです。
参考記事の要約
埼玉県は2025年10月、私立高校に対して「特待生(奨学金)の判定に業者テストの偏差値を用いないように」とする通知を出しました。
背景には、県内の多くの私立高校が「北辰(ほくしん)テスト」と呼ばれる模試の結果をもとに、合格や奨学金を“確約”する慣行があったことがあります。
県は1993年の文部科学省通知を引用し、「民間業者のテスト結果を入学選抜や奨学金判定に使うのは公正さを欠く」と指摘しました。
また、文部科学大臣の阿部俊子氏も「業者テストを使った入学選抜はあってはならない」と述べ、県の対応を支持しています。
この通知により、埼玉県独自の“確約文化”が見直される可能性が高まっています。
▶ 参考記事:私立高校奨学金の可否に「業者テストの偏差値使わないで」埼玉県通知(Yahoo!ニュース)
「公平・公正」とは、誰のための言葉なのか
今回のニュースで感じたのは、「公平・公正」という言葉が、立場によってまったく違う意味を持つということです。
私立高校は民間の教育機関です。経営判断として、模試を活用するのは効率的ですし、学力を測るひとつの指標として妥当だともいえます。
しかし、公教育を監督する側から見れば、「模試を受けられない家庭が不利になる」「特定の業者テストが必須になる」など、教育の機会格差が生まれるおそれがあります。
つまり、どちらの主張にも理があります。
問題は、「誰の公平を優先するのか」が曖昧になっている点にあります。
沖縄・那覇ではどうか──模試文化が根付かない地域の現実
沖縄県では、本土のように「業者模試」が高校入試の判断基準になるケースはほとんどありません(一部、推薦枠では活用されてるケースもあります)。那覇市でも、中学校はあくまで「内申点(学校での成績)」と「県立統一テスト(プレ入試・沖縄県模試)」で高校進学を決める構造が続いています。
一見、これは公平な制度に見えます。
しかし実際には、学校や教師によって評価基準に差があり、「中学ごとの内申格差」が存在しているのも事実です。
たとえば、那覇市内でも学校によって平均点の取りやすさや宿題量が大きく違う。
同じ“評定4”でも、学校によってその意味は変わるのです。
こうした状況を、保護者が正確に把握しているとは限りません。
「うちの子は成績がいいから安心」と思っていても、外部模試で初めて“県全体での立ち位置”を知って驚くケースは多く見られます。
その意味で、沖縄は「業者模試に依存していない」けれど、「学校評価に頼りすぎている」とも言えます。
保護者に求められる“数字の見方”
那覇市をはじめ、沖縄県の多くの中学校では、模試や学力検査の結果を「通知表」とは別に見る文化が十分に根付いていません。
そのため、保護者が子どもの学力を正確に把握するのが難しい構造になっています。
実際、塾に通う生徒の中には「自分の偏差値」という概念を初めて知る子もいます。
それほど、学校内の評価と県全体の学力との差が“見えにくい”のです。
この見えにくさこそ、教育格差の温床です。
「うちの子は大丈夫」と思っている間に、他県の生徒との差がどんどん広がっていく。
公平を守るためには、まず“現状を正しく知ること”が欠かせません。
模試偏差値が持つ二つの顔
模試の偏差値には、「努力の成果を可視化する」という利点があります。
同時に、「数字が一人歩きしてしまう」という欠点もあります。
本土では模試が受験指標の一部として制度化されていますが、沖縄ではその仕組みがまだ整っていません。
したがって、模試を受けるかどうかは家庭の判断に委ねられています。
これは言い換えれば、“情報を取りに行く家庭が有利”になる構造でもあります。
つまり、「業者模試を使わない埼玉県」と「そもそも模試文化が根付かない沖縄県」──両者は異なる形で、“公平の難しさ”を抱えているのです。
中学校が果たすべき本来の役割
私は以前、沖縄県庁の教育委員会に「中学校は高校入試のために何をしているのか」と尋ねたことがあります。
その答えは、「義務教育は高校入試のためのものではありません」でした。
たしかにその通りです。
義務教育の目的は、社会に出るための基本的な力を育むこと。
けれど現実には、進学を前提に中学校生活を送る生徒がほとんどです。
もし公教育が“基礎教育”に徹するなら、受験に向けたサポートは家庭や地域が担うべきです。
沖縄では、塾や地域学習支援がその役割を果たしてきました。
しかし、経済的格差によってその恩恵を受けられない家庭も少なくありません。
つまり、教育行政が「塾頼み」になることなく、最低限の情報と機会をすべての子どもに届ける仕組みが必要です。
公教育と民間教育──競争より協働を
公立と私立、学校と塾。
それぞれの立場には違いがあって当然です。
けれども、どちらかが優れている・劣っているという話ではありません。
公教育が「誰も取り残さない教育」を、私立や塾が「個に合わせた教育」を担う。
この二つが連携すれば、地域の教育力は大きく高まります。
沖縄のように地域差のある環境では、この“協働”が特に重要です。
学校が子どもの生活と学力の土台を支え、塾が将来の選択肢を広げる。
それぞれの役割を認め合うことが、子どもの安心にもつながります。
保護者へのメッセージ──数字よりも、対話を
保護者の方々に伝えたいのは、「偏差値を追うことが目的ではない」ということです。
大切なのは、数字の裏にあるお子さんの努力や成長をどう支えるかです。
たとえば模試の点数が下がったときに、「なんでできなかったの?」ではなく、「どの部分でつまずいたと思う?」と聞いてあげる。
そんな対話の積み重ねが、子どもの自己理解と自己肯定感を育てます。
教育の本質は、テストの点数では測れません。
「どの高校に行くか」よりも、「どんな姿勢で学ぶか」を見つめること。
それこそが、沖縄の教育をより良くしていく第一歩だと感じます。
まとめ──教育は、子どもの未来を守るためにある
埼玉県の通知は、制度上の小さな動きに見えて、実は教育の根幹を問い直す大きなきっかけです。
公平・公正という言葉をどう解釈するか。その答えは、地域ごとに違っていいと思います。
沖縄には沖縄の課題があり、那覇には那覇の現実があります。
しかし、どんな地域であっても共通して言えるのは、「教育の主役は子どもたち」ということ。
制度や数字に振り回されず、一人ひとりの子どもが自分の可能性を信じられる社会を、大人たちがつくっていく責任があります。
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