出典とテーマ
本居宣長『玉勝間』「うはべをつくる世のならひ」。
主張:人の欲望や美しいものに惹かれる心は「まごころ」であり、それを否定するのは「偽り」。
原文(試験本文)
うまき物食はまほしく、よき衣着まほしく、よき家にすままほしく、たから得まほしく、人に尊まれまほしく、命長からまほしくするは、皆人の眞心也。然るにこれらを皆よからぬ事にし、ねがはざるをいみしきことにして、すべてほしからず、ねがはぬかほするものの、よにおほかるは、例のうるさきいつはりなり。
又よに先生などあふがるゝ物しり人、あるは上人などたふとまるゝほうしなど、月花を見ては、あはれとめづるかほすれども、よき女を見ては、めにもかゝらぬかほして過るは、まことに然るにや。もし月花をあはれと見る情しあらば、ましてよき女には、などかめのうつらざらむ。
月花はあはれ也、女の色はめにもとまらずといはんは、人とあらむものの心にあらず、いみしきいつはりにこそ有けれ。
しかはあれども、よろづにうはべをつくりかざるは、なべてのよのならひにしあれば、これらは、いつはりとて、さしもとがむべきにはあらずなむ。
現代語訳(全訳)
おいしい物を食べたい、よい衣服を着たい、立派な家に住みたい、財宝を得たい、人に尊敬されたい、長生きしたいと思うのは、すべて人のまごころである。ところが、これらを皆悪いこととし、願わないのを尊いこととして、まったく欲しがらず願わないふりをする者が世の中に多いのは、いつもの煩わしい偽りにすぎない。
また、世で先生と仰がれる学識のある人や、高徳だと尊ばれる僧などが、月や花を見るとしみじみ感動する顔をしながら、美しい女性を見ると目にもかけない顔をして通り過ぎるのは、ほんとうに道理にかなっているだろうか。もし月や花をしみじみ美しいと感じる心があるなら、まして美しい女性にどうして目が移らないことがあろうか。
月や花に感動するのは当然であり、女性の美しさに目を留めないと言うのは、人としての心ではなく、ひどい偽りである。
とはいえ、世の常として、人はさまざまにうわべを取り繕い飾るものなので、これらを偽りだとして、あまりきびしく責め立てるべきではない。
段落別の要点と解釈
- 欲望の列挙=まごころ: 基本的欲求(衣食住・財・名誉・長寿)は自然な心。禁欲主義を「偽り」と批判。
- 月花と女性の対比: 美に感動する心は普遍。女性の美に無関心を装うのは偽善。
- 結論のトーン: 偽善は批判するが、人は体裁を作る生き物でもある→過度な断罪はしない、という柔らかな締め。
入試必須:古語単語ミニ辞書
語 | 意味 | 補足 |
---|---|---|
まほし | 〜したい | 願望の助動詞(形容詞型) |
眞心(まごころ) | 偽りのない自然の心 | 宣長思想の核 |
いみじ | たいそう/はなはだ | 文中「いみしき」 |
例の | いつものように | 慣用 |
うるさし | 煩わしい | 現代語の「うるさい」と語感注意 |
いつはり | 偽り | =偽善 |
あふぐ | 仰ぐ・尊敬する | 先生を「あふぐ」 |
あはれ | しみじみ感動する | 哀れとは別義 |
めづ | 愛でる・賞美する | 「めづる顔」 |
色 | 容貌・美しさ | 「女の色」=顔かたち |
うはべ | 上辺・外見 | 取り繕う対象 |
さしもとがむ | 強く責める | 「咎む」に同じ |
文法ポイント(そのまま暗記)
- まほしく: 願望の助動詞「まほし」連用形(〜したい)。
- 也: 断定の助動詞「なり」終止形。
- 〜ざらむ: 打消「ず」未然形+推量「む」→「〜ないだろう」(反語文脈で「いや、移る」)。
- いはむは: 係り言葉「いはむや」に同じで「まして〜は」。
- こそ〜已然形(有けれ): 係り結びの強調。
- しかはあれども: 逆接「とはいえ」。
- なむ: 終助詞の強意(ここは文末強調)。
頻出設問の狙いと答え方
- 内容把握: 筆者の主張は? → 「自然な欲望・美への感受性=まごころ。否定は偽り。」の二点セットで答える。
- 対比の効果: 月花(自然美)と女性(人間美)を並べ、美への反応が普遍であることを示す。
- 語句説明: 「例のうるさきいつはり」=いつもの(形式的な)偽善。
- 文法: 「うつらざらむ」の機能→打消推量(反語)。
自学用ミニ問題(5問)
- 「まほしく」を現代語に直せ。
→(答)〜したい。 - 「例のうるさきいつはり」とはどのような態度を指すか、20〜30字で。
→(答例)欲望を悪と見せかけ、無欲を装う偽善的な振る舞い。 - 「などかめのうつらざらむ」を現代語に。
→(答)どうして目が移らないことがあろうか、いや移る。 - 本文の結びの姿勢を一言で。
→(答)偽善は批判するが、過度に断罪しない。 - 本文のキーワードを三つ挙げよ。
→(答)まごころ/美(あはれ)/いつはり。
仕上げチェック(30秒)
- 訳に「まごころ」「偽り」の語を入れて説明できるか。
- 「まほし」「ざらむ」「こそ〜已然」の意味が即答できるか。
- 月花と女性の対比のねらいを一文で言えるか。
この記事へのコメントはありません。