(出典:All About「教師ガチャ」が子どもの未来を潰す。ホリエモン「教師不足も即解決」するオンライン授業の利点)
参考記事の要約
「教師ガチャ」とは、子どもが学校で出会う先生によって、勉強の楽しさが大きく左右されてしまう現象を指す言葉です。堀江貴文氏は、この問題の根本的な解決策として「オンライン授業」を挙げています。
- 教師ガチャが生む弊害
教え方の下手な教師に当たると、子どもの学習意欲が低下し、科目そのものを嫌いになる。これは子どもの責任ではなく、教師の力量の差にある。 - オンライン授業のメリット
教え方の上手な教師の授業を全国に配信できる/教師不足を「必要数を減らす」ことで解決できる/録画授業により教師の労働時間も削減できる/地域や学校による格差(“学校ガチャ”“地域ガチャ”)もなくせる可能性がある。 - 未来像
全国どこでも最高水準の授業を受けられる社会を描いており、まずは過疎地や離島からの導入を推奨している。
「教師ガチャ」のリアル
実際に、学校の先生の教え方ひとつで、子どもがその科目を好きになるか嫌いになるかが決まってしまうことは少なくありません。学習塾であれば「この先生とは合わないから、別の塾に移ろう」という選択肢がありますが、公立や国立の学校ではそう簡単にはいきません。
この“逃げ場のなさ”が「教師ガチャ」という表現を生み出したのだと思います。勉強が嫌いになった子ども=努力不足ではなく、「楽しむ入口を塞がれてしまった子ども」なのだと考えるべきでしょう。
オンライン授業の光と影
堀江氏の言うオンライン授業のメリットは非常にわかりやすいものです。コロナ禍でリモート授業が導入された際、「有名予備校の講師の授業を全国どこでも受けられるのでは?」という声も多く聞かれました。
確かに、オンラインなら「最高の授業」を何万人もの子どもに一度に届けることができます。しかし一方で、学校は「勉強だけをする場所」ではありません。登下校での規律、掃除や給食での役割分担、友人関係のトラブルをどう乗り越えるか――これらはすべて社会に出たときに必要な“生きる力”につながっています。
学校の先生の役割をどう考えるか
「先生の質=教務力(教える技術)」と単純に考えるのは、少し抽象度が低い気がします。確かに学習塾では「教える力」こそがすべてですが、学校の先生にはそれ以上の役割があります。
生活習慣を整えること、集団の一員として振る舞うこと、時には人生の相談相手になること――。これらは教科の授業では測れない、学校ならではの教育的機能です。
大学進学と社会の多様性
さらに教育の延長線として「大学進学」の問題も考えたいところです。一定の学力に達していない場合には、必ずしも大学に進む必要はありません。「みんなが大学へ行く」社会は一見平等に見えますが、学問が苦手な人に無理をさせてしまい、かえって不幸になるケースもあります。
むしろ、大学以外の道――専門学校や職業訓練校、就職、留学など――を選べることの方が、社会全体の健全さにつながるのではないでしょうか。
家庭ができること
この記事を読み終えて、最も強く感じたのは「教師ガチャ」と嘆くだけでは解決しない、ということです。これからは、家庭が主体的に子どもの進路を考える時代になっていくのだと思います。
例えば、私立高校の授業料無償化が進んだことで、保護者は公立だけでなく私立も選べるようになりました。環境を選ぶ自由が広がっている今だからこそ、保護者自身が子どもの教育方針を見据えて判断していくことが求められています。
まとめ
「教師ガチャ」という言葉は刺激的ですが、その背後には確かに現実的な問題があります。オンライン授業がその一部を解決するのは間違いありません。しかし学校教育は「学力」だけでなく「人間関係」や「社会性」を育む場でもあることを忘れてはいけません。
私たち保護者や教育関係者にできるのは、「教師ガチャ」を嘆くよりも、子どもにとって最善の学びの環境をどう作るかを考えることです。教育の本質は一つではありません。子どもが将来、社会の一員として力強く生きていくために、私たち大人は“学校の役割”を多面的に捉え直す必要があるのだと思います。
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